映画「屍者の帝国」感想
映画「屍者の帝国」の感想です。原作既読。
原作、映画踏まえながら、ネタバレを含みます。
私が伊藤計劃の作品を読むきっかけとなったのは、アニメPSYCHO-PASSでの槇島の引用からです。
「虐殺器官」、「ハーモニー」。「屍者の帝国」を読み、映画化を楽しみにしていました。ただ、読んだのは結構前だったので、原作を読み返し映画を見にいきました。(普段は再読などしない)
感想としては
・ゾンビ物感がとてもあり、エンターテインメント性は十分あり楽しめた。アクション役のバーナビーの活躍も増えていたように感じましたし。
・屍者の動きがそれらしくてとても良かった。
・映像が綺麗。特にカラマーゾフを訪ねて旅するところは映像で見られてよかった。
・省略された人物エピソードはしょうがないけど、バトラーがいないのは残念。
・ハダリーはエッチだなぁ。
原作、映画で異なっていて気になったことは2点
?フライデーの設定
?菌株説の話がない
?フライデーの設定
フライデーはワトソン君の親友という設定になっており、ワトソン君が勝手に墓掘り返して屍者化してました。ワトソン君はフライデーの魂の在処を求めていろいろガンバってるといった感じでした。どことなく「鋼の錬金術師」のエドとアルっぽい。
この二人の関係にフォーカスしたのは、尺の問題なのかなと思いました。そう考えると、物語はちょっと変わってしまいますが、見てる方としては取っ掛かりやすくなります。関係性が深いほど、スタッフロール中のフライデーの独白も感動できるものになっていた。しかし、なんだか二人を見てると、腐女子歓喜な作品と勘違いされてしまわないかちょっと心配です(笑)
あとは、映像で見るとフライデーは「Darker than black」のドールっぽくて、DTB好きとしては良かった。
?菌株説の話がない
原作では、ザ・ワンは人間の意識は「菌株」によって上書きされているという「菌株説」なるものを唱えます。屍者化は菌株を言葉によって不死化されたものとしています。ワトソン君は、自分の意思は菌株の意思なのか、自分本来の意思なのか、私とはなんだ?みたいな哲学な問答をします。面白くて好きな設定なので、出てこないのは残念でした。
菌株説が出てこなかったため、分からなかったところが一点あります。それは、ワトソン君が最後に屍者となったところ。
ザ・ワンが唱える菌株説をワトソン君自身で証明するため(または、菌株の非晶質体を自らに隠すため)ラストで屍者化していました。映画では菌株の話はなかったので、あれ?なんで屍者化してのだっけ?となってしまいました。理解不足ですね。
初見者は、最後に屍者化したあとに、元気にホームズと駆ける姿を見て「???」となったのではないでしょうか。
以上感想でした。
まとめると、
よくわからんかったけど楽しかった感が味わえて良かったです
虐殺器官、ハーモニーも期待。
追記
今年中に彼女できないっぽい